あちこちで、トラックが集めたがれきを集積所に運び込んで、高く積まれた瓦礫の山の上で重機が作業をしていました。津波で流され壊れた車の集積所も行く先々にありました。一階が津波にさらわれた家々、基礎だけ残った地面が延々と続く景色がありました。
3.・11から7ヶ月以上経っているにもかかわらずこの現状を目にして、「これでもだいぶ片付いたんだよ」という言葉に、改めて震災の大きさ、現実に圧倒されました。
沿岸部の人たちは、たくさんの命を呑み込んだ津波の体験を多くの人が心と身体に刻んでいます。
そんな現状の中で、前を向いて動いている人々がいました。
最後に訪れた南三陸町を襲った津波は、凄まじい破壊力で町を跡形もなくさらっていってしまいました。
そんな中、町議会は町長派と反町長派に二分され、事が一向に前に進まないそうです。町を案内してくれた佐藤さんは、この後に及んで機能しない議会への不信と怒りを私たちにぶつけました。
判断できない、決断できない、ビジョンを示せない政治への苛立ちを行く先々で聞きました。
石巻で訪れた生活クラブの練り物の生産者、高橋徳治商店の高橋英雄社長は、震災直後からの現実を淡々と語ってくれました。
高橋社長の言葉からいくつか
「なぜ、こんなにおおぜいの人がボランティアに来てくれるのか
なぜ、そんなにしてくれるのか
なぜ、そんなにやさしいのか
答えはない
それぞれ、自分探しにきている」
「人はすてたもんじゃない。」
「私たちは生きていける(かもしれない)
私たちは変われる(かもしれない)」
被災地で会った人々、暖かい朝ご飯、豚汁をつくって仙台から来てくれた人、ありがとうございました。